ネットワークプロデューサーは現住所。本籍地は、もちろんエンジニア。

気がつくと、全体をまとめる役割を任されていた。
都筑純都筑がプロデューサーという役割と、自らの適性を意識するようになったのは大学時代(94年〜98年)のこと。ようやくインターネットの存在に世間の注目が集まり始めた頃で、当時、理系の大学生や研究者たちの間では、草の根的なネットワークが広がり始めていた。『IPアドレスって知ってるか?』『wwwって何だ?』といった会話がパソコン通信のチャットで交わされていた時代である。インターネットで何ができるのか。どれほどの可能性が潜んでいるのか。誰もがよく分からぬまま、それでも何だかとてつもないものに違いないという予感だけを頼りに手探りの状態で進んでいる。都筑もそんなインターネットの黎明期に洗礼を受けたひとりである。

一流エンジニアを知るためのキーワード。7つ道具 「最初はほんの興味本位、遊び半分でやっていたのですが、それが大学当局の目に止まって、いつしか学部内のネットワークの運営を手伝うようになっていたんです。といっても、あくまでも草の根ネットの延長線上ですから、学内の仲間たちと『俺はハードを見るから、おまえは通信の方をやれよ』といった具合に、のんびりとやっていたのですが、そのうちにだんだん役割分担が決まってくるようになったんです。それじゃあ、ほかの人と同じ事をやってもつまらないからと、自分にしかできないことを追っかけているうちに、気がついたら企画を立てたり全体をまとめたりするのが、私の役目になっていたんです」


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都筑純